2005年10月29日 01:50

2005年10月29日(土)

丁度仕事終わった頃、遊子さん(サンフランで4年間一緒に住んでた人)から偶然5年ぶりの一時帰国しますメールが来た。返信、返信の返信、お互いのブログ読んでコメント入れ合い・・・と、しばしネット上でお互いの情報交換。ははは、面白いな。ちょっと興奮したよ。

正直、私はアメリカに「大学行きたい」という目的しか持ってってなかったので、全然そこに居着くつもりはなくて、勉強だけできりゃ別に生活も最低限できりゃいいし観光も行く気もなかったし人間関係もあえて必要以上に構築するつもりなかったし政治にも関心なかったし英語も勉強に差し支えない程度できればそれ以上できるようになりたいとも思わなかったし、大学以外の全ての行動は「卒業後広島に帰る」のが前提だったわけですね。
んで実際サンフランには何の未練もなくさっさと帰国しとるわけですわ。
今こうやって地元に帰ってもーわかりきってる土地でわかりきってる人たちとなーなーの関係の中でよく言えば信頼しきってされきって生きていくのが自分に合っているというか、それが一番心地よいし、何をするにも一番無駄や心配がないわけで、あえて「選んで」広島におるわけです。
新しい土地に行って新しい人間関係や新しい仕事、まあ要するに「新しい自分」を1から作っていくこと、それって私の価値観の中では多分ダントツの「一番たいぎぃ事」なんですねえ(それでたけちゃんともずるずる14年、なんかなあ・笑)。
ほんとプラス思考で申し訳ないけど、私、ものすごく環境恵まれてるんだよねえ。適度にコンパクトな町で、えらい人脈の多い父親を持ち、もれなく濃いい友人知人に広く深く長〜く取り囲まれ、いい音楽が周りに絶えずあって、芸術関係のネタも自然に入ってきて、情報も今さらどこにいたってなんぼでも入るし、私を愛していると言ってくれる人がいて・・・って結局はヒトなんだけど、こっちから説明しなくても私を知っていてくれるヒトが圧倒的に多い。そこに甘えてるよ。どこにいたって私は私、と言えるだけの自信はないっす。周りの人があって、そして私がある。私を構成してるのは私の環境。
結局なにが一番ネックかというと、「私はこういう人間です」と今さら人に説明するのが恥ずかしいというか面倒臭いというか苦手というか嫌いというか・・・、ま、私はこういう人間なんですね。

だから、サンフランで新しく知り合った遊子さんとは、4年も(ワンルームに!)一緒に住んだのに、自分の事を説明するの多分忘れてるんですね。んで、多分こっちも彼女のそれまでの人生の重要な事、全然聞いてない。実際何も知らん(笑)。
お互い「人間20数年生きてりゃ誰にだってそれなりのドラマが色々あるさね」って先に言ってしまって自ら聞きにくい状況を作ってしまうタイプ?なのかな?結局わははわははとくっだらねー当たり障りのない話ばっかりして4年が過ぎた。その部屋から一歩出たらお互いの世界いうのがあったしね、なんだろ、ほんとに「何もなく」暮らしてた(と思ってたのはワシだけじゃったりして…焦)。お別れもなんとなく照れくさいままうやむやっぽい感じじゃったし。

で、現在。
私は故郷でコネを使いまくって事業を興し、コネ頼りの仕事だけで食いつなぎ、毎日古い友人と遊び回り、未だ実家に住んで、どっぷりぬるま湯に漬かって日々暮らしてる。
遊子さんは新天地NYで新しい生活を始め、新しい人間関係を築き、新しい仕事を探し、毎日何かに挑戦したり刺激を受けたり新しい何かをそこで見つけようとしてる。

同じ部屋出身の二人がね(って書くと二人は力士だったみたいだな)。なんか不思議なんだよね。ところがすごく不思議じゃない、という気もするんだよね(???)。こんだけダラダラおらぁ新しい土地に行くのに抵抗がある、と言っておきながら、どっか悔しい思いもあったりして(笑)、かと言って私が帰国した後どーしよったん、と今さら逐一尋ねる気もない・・・。なんだろねえ、今までこっちで暮らしてて、普段大して気にかけてるわけでもないのに、連絡取れたらやっぱりわー、とか思うんだよね。
ま、サンフランで出会ったのも何かの縁だったんだろうね。
結局ヒトなんて、ヒトの事わかんないんだから、彼女の生き方に何も言いようがないし、私の生き方に何か言われる必要もないんだけど、なんだろう、これって・・・・・嬉しかったのかなあ。


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