2002年01月

2002年01月01日

「食虫植物1」「2」 1.5×2.5 cm 2001 エッチング

0201102012

実はこの画像、本物の4、5倍はあるんですよ。ミニミニ銅版画に挑戦してみました。というのが最近ちょっぴり気になる画廊さんから「オノさんのエッチング がもっと見たいって感じ」とカマかけられまして・・・ではなく励まされまして、なんか変わったことしてみよっかな、とすぐ調子に乗ってチャレンジしてみた わけです。が、なんとなく気に入らないのでこのシリーズは2枚でやめ。もう少し自分らしいテーマと線の描き方を練らなきゃな、と模索中。もしかしたら今年 は銅版画で個展するかもね〜、なんてちょっとだけネタばらし?うふふん、今年の私も貴方の期待を裏切りまくりますよん!

         

02年1月のタワゴト
 
明けましておめでとうございます〜。今年の私の目標は「悪いヤツにもなる!」です。目指せ守銭奴(笑)!まず動物好きやめなきゃね〜、と早速つっこみ入りまして、今年の夏は蚊を殺してみるぞ〜なんてまた出来そうのない公約はするべきではないですね、ハイ、そうです、私は蚊も殺せない気弱な人間だったのでした。あ〜誰か「悪人マニュアル」みたいなの書いて下さい。そして私を金持ちにして下さい(笑)。てなわけで皆様今年もよろしくお願いしますねっ!

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「ゑ!」で食う
連載第2回:芸術の為の芸術?!
ちょっぴり理屈っぽい話になるけれど、「芸術の為の芸術」が出没し始めた60年代から、「職業としての画家」っていう概念が曖昧になってしまった感が否めないわけで、それ以降、私らエツマリを含め「ゑで食おう」と決めちゃった人たちが苦労してるんですね(時代のせいにするな?)。要するに世間における芸術の価値観が変わってしまい(底辺が広がった…って言うと語弊があるかな)、ナンデモアリ状態になっちゃったので、プロとアマの境目や、何をもってしてそれを芸術と言うのか、という基準がめちゃくちゃになってしまいました(音楽だって似たような現象が起こってるよねぇ、自称"アーティスト"のなんと多いことよ!聞いてるこっちが恥ずかしくなるわい!)。ちなみに、冒頭の「芸術の為の芸術」とはどーゆー事かと言いますと、それまでのゑの存在意義ってのは写真の代わりであったり(肖像画や宗教画なんかがそうですね)、インテリアだったり(ゑの花は枯れませんからね)、世の中からそれなりのニーズがあって画家という職業が成り立っていたのですが、抽象絵画が台頭し始めた頃から、画家がいきがって「客の為に商売で描いてんじゃねえ、俺は俺の為に描いとるんじゃ!」なーんて言い出して、そのうち「描いてる行為そのものが芸術だ!」とか「描いてる俺自身が芸術だ!」とか「俺がする事は全部芸術だ!」とか(笑)んもーどっからどこまでがどう芸術なのかわやくそになって、果ては「俺が何にも描かない事だって芸術だと言えば芸術なのだ!」なんて言われますと、はぁそうですかい…としか答えようがないですよねぇ。早い話が「買ってもらうことや必要性を前提とせずに生産された芸術」。・・・そりゃ「自称芸術家」も増えるわな。結局趣味で描いてる人や絵を描かない人とどー違うって言うんでしょうか。
ってなわけで、私なんかはそのへん見て見ぬふりをする決意を固めまして、ある程度割り切ることにしたんです。犬のクソを芸術と言われれば、そうかもしれないわ、この芸術的御クソはおいくら?カードでいいかしら?…なんてのは認めません!「芸術の為の芸術」ってのは芸術ではない!と声高らかに叫んでやろうではないか!需要あってこその供給!なんたって世の中資本主義なのだ〜!・・・と断言はできませんが(だってちょっぴりそーゆーのにも憧れてるんだもん?)、私はやっぱり「人の為のゑ」を描いてるほうが仕事っぽい気がしますね。というのも、私の出た大学がそういう方針だったので(近くにある抽象で有名な美大に対抗してただけですが)、とにかく売れるゑを描くべし!と洗脳されちゃったってのもありますけど。描いた人間がその絵の価値を決めるのではないのであります(画家が死んでから値段が上がったりするのはその典型)。だから私はある意味職人に徹するゑ描き人生を選んだと言えます。コミッション(=依頼)や先立つ個展がない限り描かないよ。押入れの肥やしを増やしてもしょーがないし。自分で自分のゑを飾る気なんて毛頭ないし。…って言うとびっくりする人多いんですけど事実です(苦笑)。
それに比べてアートカプセルの片割れエツはどうでしょう。エツは売れるか売れないかを考えながら作る人ではありません。でも発表の場は必要(創作を続けるプレッシャーを自分にかける為)。で、結果、売れればラッキー?でも売れなかったからといってスタンスは変えない。だって、何をどうやったってエツからはソレしか生まれてこないから。・・・という立場を客観視すると、エツはどっちかっつーと私と対極にいるように思えます。作品の意味や価値を作家自身が決める(作品を前に、誰が何と言おうとこれはこうにしかならへんかってん〜と説明する)、という点で、全く別の種類の作り方をするゑ描きさんなんですね。ですがもちろん、発表の場は厳選するし、作品のクオリティーは保守するし、ある程度売れる根拠を持って望んでるようでございます。ゑ描きにも色んなスタイルがありますね。「芸術の為の芸術」で食ってくにも、ただカバチをたれてるだけではだめで、戦術とプロ意識が必要という事です。前回書いた、社交性や交渉術がこれに含まれます。
私のように「ゑ描き職人」と割り切るのが嫌なら(蛇足ですがイラストレーターを目指す方、この程度の割り切りじゃやってゆけませんよ。クライアントの奴隷となって自己を抹殺し、言われるがままのゑを描かされ締め切りに追われる…。これが仕事です)、裸の王様にならないように、日曜画家と呼ばれないように、自分の作品にそれなりの説明が付けられなくちゃ食ってくのはほとんどムリです。60年代後半のNY周辺がいいお手本ですね。デュシャンやウォーホールら(ら、でくくるのは横暴か?!)なんかは、作品自体の価値より、それに附随する能書きのほうが先行してしまったよい例です。こいつらがそれまでの長〜い美術業界のオキテをブチ壊したと言ってもイイかも。…とは言え本人たちも今の私ら以上の努力はしてるんですね。作品の質の向上にこだわるというよりは先述の「社交」だの「売名」だのに精力を注いでたんですが(質、といえばポロックなんか最悪ですわな。2、30年しか経ってないのに作品はもうヒビ割れまくりですからね。彼はいわゆる『作る過程が芸術なんじゃ!』と主張していた、くだんの芸術の為の芸術制作者です)。金持ちの集まる社交界のパーティに背伸びして出席しまくったはいいが、フォークやナイフの使い方がわからず、御夫人方に「ボクはキャンディしか食べないんですよ」な〜んて内心ハラハラしながら言い訳して何も食べれなかったウォーホールの微笑ましい小話なんかも有名ですね。・・・と、ゑ描きのお仕事は多岐に渡り(笑)、ただ単にゑが技術的に上手けりゃいいという訳ではないのでございます。死ぬほど上手い人も家で描いてるだけじゃどーしよーもないという事です。そう思うとダリの派手なパフォーマンスとかも、哀れな演出以外の何にも見えてこないのであります。あぁいうブッ飛んだ珍行奇行を見ながら「アーティストってかっちょえーのぅ!」と思ってバクゼンとゑ描きにあこがれてた10代の自分が今では恥ずかしい気さえしますなぁ。
というわけで、かなり今回はマリコ個人の偏見に満ちた一方的な意見にかたよってしまいましたが、ゑで食うためにはゑを描いてるだけじゃダメなのね、という事はなんとなくわかっていただけたでしょうか?!しかしココまで書いて、横目で読んでたエツが「う〜ん、マリコとは微妙に見解の違いがあるみたいやなぁ…」と申しておるので、次回はその辺をじっくり探りつつ、もうちょっと現実的に、私らエツマリにできる範囲の具体的な行動をご紹介してゆきたいと思いまする。勝負強さには自信がある(オイオイ作品じゃねーのか)私らの実戦レポート、お楽しみにぃ?


usaandryo at 01:01コメント(0) 
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